伊能忠敬のInoPedia(イノペディア)

「InoPediaをつくる会」は2010年4月15日までに、伊能忠敬(いのう・ただかた)と伊能図とに関する百科事典サイト「InoPedia(イノペディア)」を開設しました。
イノペディアをつくる会は、伊能忠敬研究会名誉代表の渡辺一郎が会長を務める会で、イノペディアには伊能忠敬に関する資料や日本全国の伊能忠敬に関する逸話などが紹介されています。
伊能忠敬(1745年2月11日~1818年5月17日)とは、江戸時代に実在した測量学者で、精巧な日本地図を作製した人物です。
伊能忠敬は50歳で家業を息子に譲って江戸へ上り、天文学を学び始めます。そして、地球の大きさを計算するために測量を開始して、東日本の地図を完成させます。
その地図が江戸幕府に認められ、西日本の地図の作製を命じられます。そして、伊能忠敬は西日本を測量するための旅に出ます。この時、伊能忠敬は60歳でした。江戸時代は人生50年と言われており、西日本の旅に出る前に、既に平均寿命を大きく超えていたのです。
ようやく、伊能忠敬は1815年(75歳)に西日本測量の旅を終えて江戸に戻ります。地図の作製に取りかかりますが、伊能忠敬は日本地図の完成を見ずに、1818年に78歳で死亡してしまいます。
しかし、弟子達は伊能忠敬の死を公表せずに、日本地図を完成させ、伊能忠敬が完成させた日本地図「大日本沿海輿地全図」として、幕府へ献上するのでした。
さて、伊能忠敬の地図は、現在の地図と比べても遜色の無いほど精巧な地図でした。伊能忠敬は、測量と天体観測と用いて誤差を排除していくという方法で、精巧な地図を完成させていったのです。
当時、地図や海図は敵国に侵略するために重要な資料で、精巧な伊能忠敬の地図を見たヨーロッパ諸国は、「これほど高い技術を持っている国には簡単に勝てない」と考えて、日本侵略を諦めたという逸話も残っています。
また、伊能忠敬は50歳以降に計4万キロ(地球1週分)以上を歩いていることなどから、江戸幕府の密命を帯びた忍者だったのではないかという説もあります(俳句の松尾芭蕉も同様の理由で忍者だったという説があります)。

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