銀座のブスママ石川香

銀座で伝説になったブスママ石川香(いしかわかおり=42歳)が、「エチカの鏡」で紹介されました。
不細工にもかかわらずホステスから銀座でクラブを3店舗経営するまでに成り上がった伝説のブスママ石川香は、「ブスは私への褒め言葉。ブスだからこそ銀座で成功できた。」と語る。
石川香は1967年に神奈川県川崎市で生まれる。小学生になると同級生から「ブス女」「ブス」と呼ばれるようになり、父親からも「将来は整形しなければダメかな」と言われる。
ブスと呼ばれた石川香だが、密かに女優になる夢を持っていた。小学校の時、みんなが嫌がり、廻ってきた演劇発表会の主役を演じたことを切っ掛けに、女優を目指し始めのだった。
11歳になると劇団の子役に応募。高校を卒業すると演劇学校に入るが、1000回以上のオーディションに落ち続けていた。
たまに端役の仕事は入ったが、それだけでは生活が出来ず、石川香は時給600円のアルバイトをして生計をたてていた。
そんなとき、友人達から「銀座の高級クラブでバイトすると時給2500円もらえるから一緒にバイトをしよう」と誘われる。友達は即採用されたが、石川香は雇ってもらえなかった。
石川香は銀座のクラブを30軒廻ったたが、不細工を理由に全て面接に落ちた。しかし、時給1800円と割安の時給でようやく雇ってくれたクラブが見つかった。
石川香は初出勤の日に、クラブの客から「なんで高い金を払ってブスと飲まなければならないんだ」「俺の顔を見るな」と罵倒される。
石川香はトイレに行って泣き崩れるが、同時に「自分はブスだ。ブスでもこんなことが出来るんだぞということを見せよう」と思うようになる。
美人だとおしとやかに笑ったりしなければならない。だから、美人にできないことをやることにした。
石川香は、面白い格好をしたり、変なモノマネを始めた。すると、客は次第に石川香を指名するようになった。
美人だと男性は格好を付けようとする。しかし、男性は美人には格好を付けない。石川香は客の相談やグチを笑顔で聞くようにした。客に食事に誘われても「ラーメンでも牛丼でも何でも良い」と答えた。
石川香は次第に客の心を掴むようになり、ホステスになって5年になると、店内が石川香を目当てにする客ばかりになっるという伝説を作った。
当初時給1800円だったが、月収200万円にまで上がり、6年間のホステスを経て独立。銀座でクラブ「GOE」「MON」「UEN」の3店舗を経営するようになる。
さらに、東京都で割烹料理店「輪らん」や託児所「ナーサリーウィ」も展開。ハワイ・オアフ島でもヒーリングマッサージ店「ヒーリングアカデミーハワイ」を経営して、現在は年商6億円にまで成長したそうです。
銀座のブスママ石川香は現在、夫・長男・長女・実母と共にハワイ・オアフ島で生活しているようです。夫は、石川香が最初に働いていたクラブのオーナーです。
さて、今回のエチカの鏡は、欠点を長所にする逆転の発想で、年商6億円まで上り詰めた石川香の話でした。やはり、成功する人は目の付け所が凄いと思いました。
調べてみると、石川香の経営している会社は、2004年4月に設立した有限会社サークルでした。
それと、石川香は「銀座一のブスママが明かすビジネス成功法則」「ブスの力」という本を出しているので購入しようと思います。


銀座の奇跡!伝説のブスママ石川香の物語!

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