女盗賊プーラン・デーヴィー

女盗賊から政治家になったプーラン・デーヴィーが、「ザ・ベストハウス123」で紹介されました。
プーラン・デーヴィーは1958年頃、インド北部にあるグルハカ・カ・プールワー村で生まれた。
グルハカ・カ・プールワー村は現在も電気の通っていない貧しい村だった。インドでは1950年に憲法で廃止されたカースト制度が根強く残っており、グルハカ・カ・プールワー村でもカースト制度が根付いていた。
カースト制度は大きく分けて、上から「バラモン」「クシャトリヤ」「バイシャ」「シュードラ」の4つに身分に別れる。プーラン・デーヴィーは一番下の身分「シュードラ」の生まれだった。
カースト制度では、生まれた身分により職業が決まっており、仕事を自由に選ぶことができない。また、自分より身分が上の者に抵抗することも許されていなかった。
ある日、プーラン・デーヴィーの自宅に隣村の金持ちの男がやって、「嫁に貰ってやる」といってプーラン・デーヴィーを連れて行ってしまった。金持ちの男は身分が高かったため、両親は何も抵抗が出来なかった。
連れられていったプーラン・デーヴィーは家畜小屋に住まわされていた。夫から暴力を受け、貧しい食事しか与えて貰えず、家畜のように扱われたあげく、プーラン・デーヴィーは家を追い出されてしまった。
実家に戻っても、夫に捨てられたプーラン・デーヴィーは村人から「村の恥」と罵られる日々が続いた。
ある日、プーラン・デーヴィーは暴漢に襲われた。レイプされそうになっているところを、銃を持った男が暴漢を撃ち、助けてくれた。
男はプーラン・デーヴィーと同じ身分「シュードラ」の出で、ヴィクラム(ウンメード・シン)という名の盗賊だった。
身分の低いプーラン・デーヴィーは、人に助けてもらうことは生まれて初めての出来事だった。そして、ヴィクラムの誘いを受けて、盗賊団に入ることにした。
プーラン・デーヴィーは初めて、自分が生きる道を見つけることが出来た。それは、21歳のことだった。
やがて、プーラン・デーヴィーは盗賊として頭角を現し始めた。
プーラン・デーヴィーは身分の低い貧困層を虐げる金持ちだけを狙って犯行を重ねた。弱い者には手を出さず、貧しい者には盗んだ物を分け与えることもあった。
こうしたなか、プーラン・デーヴィーはヴィクラムのプロポーズを受けた。プーラン・デーヴィーはポロポーズを快諾した2度目の結婚をした。
しかし、幸せな日々は長くは続かなかった。ヴィクラムは同じ盗賊団の仲間に暗殺されてしまった。
仲間は自分より身分の低いヴィクラムが盗賊団のリーダーを務めることが許ず、犯行に及んだのだった。
プーラン・デーヴィーは盗賊に拉致され、暴行・虐待を繰り返されたあげく、裸にされて村中を引き回された。身分の高い村人からも暴行され、家畜のような生活が1ヶ月以上続いた。
ようやく解放されたプーラン・デーヴィーは、夫ヴィクラムを暗殺し、辱めたメンバーに復讐するため、仲間を引き連れて虐待を受けた村を襲撃した。
プーラン・デーヴィーは夫ヴィクラムを暗殺し、辱めた盗賊や村人に復讐するため、仲間を引き連れて虐待を受けたベヘマイー村を襲撃した。
しかし、夫を殺した盗賊は既に村を出ていた。
プーラン・デーヴィーは、自分を辱めた村人20人を射殺した。
これが世に言う1981年2月14日に起きたベヘマイー村虐殺事件である。
身分の低い者が身分の高い者を大量に虐殺することはインド史上希の出来事であった。
政府はプーラン・デーヴィーを指名手配するが、捜査の手をかいくぐり、プーラン・デーヴィーは逃走して夫の敵を追った。
しかし、夫の敵が別の盗賊団との争いで、死亡したことを知る。そのことを知ったプーラン・デーヴィーは、全てを終わらせるために自首を決意する。
プーラン・デーヴィーが広場に名乗り出ると、プーラン・デーヴィーを見るために数千人もの民衆が集まった。身分の低い者にとって、プーラン・デーヴィーは英雄だった。
そして、プーラン・デーヴィーは逮捕された。
自首したことで死刑は免れたが、刑務所に入れられた。刑務所は生まれて初めて命の危険を感じない場所だった。
1994年2月18日、11年の投獄を経てプーラン・デーヴィーは出所する。
プーラン・デーヴィーが出所には大勢の民衆が詰めかけていた。民衆は英雄の帰りをキンモクセイの花輪で歓迎した。11年経ってもプーラン・デーヴィーは英雄のままった。
11年の獄中生活で、二度と自分のような者を生み出さないために差別と闘うことを決意したプーラン・デーヴィーは、政治家の道を歩むために選挙に出馬し、カースト制度の根絶や女性差別の撤廃を訴えた。
プーラン・デーヴィーは見事に当選した。そして、差別廃止のために尽力を尽くした。
その功績が認められ、1998年にはノーベル平和賞候補にも選ばれた。
しかし。2001年7月25日、悲劇は突然訪れた。
プーラン・デーヴィーは国会から帰宅したところを襲われて、射殺されてしまった。
犯人は20年前にプーラン・デーヴィーが起こしたベヘマイー村虐殺事件の復讐のためだったと供述したという。


カースト制度と闘ったインドの女盗賊プーラン・デーヴィーについて。

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