シークレット・サンタと呼ばれたアメリカの富豪ラリー・スチュワートの物語です。
ラリー・スチュワートは1948年にミシシッピー州で生まれた。幼い頃に両親を亡くし、生活保護を受けながら貧しい暮らしをしいたため、一ドルでも多く稼ぐために必至に働いていた。
23歳で化粧品販売の会社を設立したが、その年のクリスマスの直前に会社は倒産してしまった。
多くの借金を抱え、8日間、飲まず食わずで過ごしたが、空腹に絶えかね、ラリー・スチュワートは無意識のうちにレストランに入っていた。
気付けばもう食事は終わっていた。ラリー・スチュワートは伝票を見て我に返った。お金など持っているはなかったが、ポケットを探して、財布を落としたふりをしていると、店主がやってきた。
無銭飲食で警察に突き出されるだろうと覚悟したが、店主は「落としてましたよ」と20ドル札を差し出した。
ラリー・スチュワートは店主の勘違いだと思い、店主から20ドル札を受け取り、支払いを済ませた。
翌年、ラリー・スチュワートは再起を賭けて、警備保障会社を設立して一所懸命に働いた。そして、結婚してささやかな幸せを手にしていたが、会社は3年で倒産してしまった。
27歳のクリスマス。ラリー・スチュワートは銀行強盗することを決意して、銀行へ行った。銀行でお金を要求しようとすると、少女が窓口でお金を預けていた。少女が預けていたのは20ドル札だった。
20ドル札を見たラリー・スチュワートは、レストランで店主から20ドル札を受け取ったことを思い出した。
ラリー・スチュワーは、あの時の20ドル札が本当に落とし物だったのかを知りたくなり、銀行強盗を中止して、あのレストランへと向かった。
ラリー・スチュワーは、4年前のレストランを訪れた自分のことを覚えているのか、レストランの店主に聞いた。すると、店主は、「クリスマスは誰でも幸せになる日なんだよ。メリークリスマス」と答えた。
ラリー・スチュワートは、あの時の20ドル札は店主からのクリスマスプレゼントだったと気付いた。
これまで、幸せになるために1ドルでも多く稼ごうとしていたラリー・スチュワートは、自分が成功することばかり考えていたが、あの20ドル札のおかげで、空腹をしのげ、犯罪に手を染めずにすんだことに気付いた。
そして、他人に施すことの大切さを悟るのだった。
その後、会社に就職してセールスマンとし働いた。貧しいながらも家族との幸せな生活を送っていた。
しかし、再びラリー・スチュワートを不幸が襲った。務めていた会社が倒産して、解雇されてしまったのだった。
ある日、ラリー・スチュワートは売店に立ち寄った。その日は、31度目のクリスマスだった。
売店の店員は暗い表情をしていた。ラリー・スチュワートはおつりとして受け取った20ドル札を店員に「クリスマスプレゼント」と言って20ドル札を渡すと、暗かった店員の顔は明るくなった。
シークレット・サンタが誕生した瞬間であった。
ラリー・スチュワートはその帰りに、銀行へ立ち寄り、預金を全額20ドル札で下ろした。
そして、白いオーバーオールに赤いスエット、赤い帽子にサングラスという格好で、街に出かけ、貧しい人を見つけては20ドル札を配って歩いた。
ラリー・スチュワートは素顔を隠し、正体を明かさず、20ドル札を配っていたため、「シークレット・サンタ」と呼ばれるようになっていた。
妻から預金が無くなっていることを聞かれたが、「年の瀬で何かと物いりだった」と答えると、深くは追求されなかった。
翌年、ラリー・スチュワートは遠距離電話の会社を設立した。お金儲けのためではなく、遠く離れて生活している家族のためになればという奉仕の精神で会社を設立したのだった。
その後もラリー・スチュワートはシークレット・サンタを続けていた。
結婚8年目のクリスマスのこと。シークレット・サンタをしていたラリー・スチュワートは妻に呼び止められ、お金を配っていることが妻にバレてしまった。
お金を配っていること許す妻が居るはずもなく、シークレット・サンタもこれでお終いかと思ったが、妻は「困っている人を助けることは素晴らしいことよ。多くの人を助けられるように一緒に頑張りましょう」と応援してくれた。
妻の言葉はラリー・スチュワートにとって、最高のクリスマスプレゼントだった。
家族に支えられながらラリー・スチュワートはシークレットサンタを続けた。他人のために働いていると、不思議と会社も順調に大きくなり、家族のために家を買うことも出来た。
会社はやがて年商10億円の大企業に成長した。ラリー・スチュワートは大富豪になっても、クリスマスになるとシークレット・サンタを続けていた。
2001年にニューヨークで同時多発テロが起こると、その年のクリスマスにはニューヨークを訪れて20ドル札を配った。
2005年にアメリカ南東部でハリケーン被害が起きると、ミシシッピーシューを訪れて20ドル札を配った。
やがて、シークレットサンタは全米に知れ渡っていた。
これまで匿名で続けていたシークレット・サンタは2006年に突然、正体を明かした。ラリー・スチュワートは食道癌で残り4ヶ月の余命宣告を受けており、「他人に施すことの大切さ」を世界中の人に伝えるためだった。
シークレット・サンタが正体を明かした反響は大きく、2日間で全米から7000通もの手紙が寄せられた。その多くは、シークレット・サンタになりたいという内容だった。
その年のクリスマスもラリー・スチュワートはシークレット・サンタとして街に現れ、20ドル札を配った。
27年間で700万に13万ドルを配ったラリー・スチュワートは、2007年1月12日に58歳でこの世を去ってしまった。
ラリー・スチュワーが死去したが、その年のクリスマスには赤い帽子を被り、貧しい人に20ドル札を配る多くの「シークレット・サンタ」が街に現れるのでした。
ラリー・スチュワーは生前に「シークレット・サンタ協会」を設立していた。シークレット・サンタ協会の入会資格は、「少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと」でした。
ラリー・スチュワーは生前、シークレット・サンタが誕生する切っ掛けとなったレストランを訪れ、店主に1万ドルを手渡しましたが、店主は病気や貧しい人たちのために全額寄付してしまうのでした。
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