土佐の英雄・坂本龍馬は秘密結社「フリーメイソン」のメンバーだったという都市伝説について。
坂本龍馬は薩摩藩と長州藩との間をとりなし、薩長同盟を結ばせる立役者となった人物である。しかし、なぜ土佐の下級武士出身の脱藩者がそのような大役を果たせたのか?それはフリーメイソンが坂本龍馬の後ろ盾となっていたからだとされている。
長崎にトーマス・ブレーク・グラバーという人物が居た。長崎県の観光スポットとなっているグラバー邸の主である。
21歳の時に長崎にやってきてたトーマス・グラバーは、23歳の若さで輸入代理店「グラバー商会」を設立した。グラバー商会はアジア最大の商社「ジャーディン・マセソン」の日本代理店である。
なぜ、トーマス・グラバーが若くしてジャーディン・マセソンの日本代理店になれたのか?それはトーマス・ブレーク・グラバーがフリーメイソンのメンバーだったからだとされている。
さて、坂本龍馬は亀山社中という商社を設立した。亀山社中はグラバー商会から武器弾薬を仕入れて長州藩などのに武器弾薬を販売していく商社である。
この亀山社中にも不可解な点が多い。亀山社中は武器弾薬を仕入れる資金をどこから調達したのか?なぜ、短期間で大量の銃を調達できたのか?
その資金を提供したのはグラバー商会のトーマス・グラバーで、武器を調達したのもトーマス・グラバーだった。つまり、実質的には亀山社中はフリーメイソン系列の会社だと言える。
また、トーマス・グラバーは寺島宗則や井上馨などの薩摩・長州のメンバーをヨーロッパへ密航させたり、グラバー邸に伊藤博文や坂本龍馬らを集めて話し合いを行ったりしており、物資だけではなく、思想でも大きな影響を与えたのである。なお、伊藤博文もフリーメイソンのメンバーだとされている。
では、なぜ坂本龍馬だったのか?実は、坂本龍馬は本能寺の変を起こした明智光秀の末裔だと言われている。
一説によると、明智光秀の甥(諸説ある)が長曽我部を頼って土佐まで逃れてきたのが坂本家の始まりだという。その根拠として、坂本性の由来は明智光秀の居城「坂本城」にちなむものであり、坂本龍馬の家紋「違枡桔梗紋」には明智光秀の家紋「桔梗紋」が含まれていることなど挙げられる。
しかし、坂本龍馬が明智光秀の子孫だと説には疑問も多い。
とはいえ、坂本龍馬は明智光秀の子孫だと名乗り、自分に権威付けをした可能性はある。明智光秀の子孫だと名乗れば、坂本龍馬はただの脱藩者でなくなる。
たとえば、島原の乱を起こした天草四郎は、「天草四郎は豊臣秀頼の子孫・豊臣秀綱である」と流布し、カリスマ性を得たとされている。その証拠に天草四郎は馬印(大将の目印)として、豊臣秀頼が使用していた「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」を使用している。
世界的にみても、時の有力者がカリスマ性を得るために、偉人の末裔だと名乗ることは多い。坂本龍馬が明智光秀の子孫だと名乗ったとしても何ら不思議ではない。フリーメイソンもそのカリスマ性を利用したのかも知れない。
話をフリーメイソンに戻すと、坂本龍馬がフリーメイソンに加入していたという確たる証拠はない。しかし、坂本龍馬の裏でフリーメイソンが暗躍していたことは可能性はある。
フリーメイソンが日本の革命を裏で操っていたとしても、なんら不思議ではない。これまでも、日本で起こった革命や戦争の多くに、外国勢が関与しているからである。
フリーメイソン以前は、キリスト教(宣教師)が日本の運命を左右してきた。実際に、宣教師は船いっぱいの武器弾薬を乗せて来日したという記録も残っている。宣教師は武器をひいきの大名に売り、大名を勝利に導いてきたのである。
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