織田信長の末裔とされる男子フィギアスケートの織田信成(おだのぶなり)に家系図ねつ造疑惑が浮上しています。
Wikipediaによると、織田信長の家系図は次に通り。(注意:一般的には織田信長を初代とするので、織田信成は17代ですが、Wikipediaは織田信長の七男・信高を初代としているので、1代ずれています。)
織田信長
初代 信高(七男)
2代 高重
3代 一之
4代 信門
5代 信倉(養子)
6代 信直(養子)
7代 長孺
8代 長裕
9代 信真
(10代から13代は不明)
14代 重治
15代 信義
16代 信成(次男)
家系図ねつ造疑惑によると、写真業をしていた9代・信真は、1842年生まれで、1872年に東京で消息不明になっていることが確認されています。
そして、織田信成の祖父にあたる14代・重治は1917年に神戸で生まれて、織田信長の家系図が復活します。
9代・信真が生まれた1842年から14代・重治が誕生する1917年までの75年間に、5世代進んだ事になります。75を5で割ると15になります。
つまり、平均15歳で子供を産んでいかなければならない計算になり、不自然です。
さらに、織田信成の祖父にあたる14代・重治は、父親の名前も祖父の名前も知らないとコメントしており、極めて不自然です。14代・重治は父親(13代)の名前も祖父(12代)の名前も知らないにもかかわらず、織田信長の末裔を名乗っているのです。
そもそも、織田信成の家族が織田信長の末裔を名乗る根拠は家系図だけのようです。この織田信長の末裔だという根拠となる家系図も有名な家系図業者の家系図と作り方がほぼ同じだそうです。
さて、織田信成が本当に織田信長の子孫・末裔である事を証明する方法はとても簡単です。戸籍を公表するだけです。
戸籍は最大1872年(明治5年)までさかのぼることができるため、織田信成が戸籍を開示すれば、家系図で空白になっている10代から13代も明らかになるはずです。
ちなみに、霊能力者タレントで元圓光禅寺の僧侶・織田無道も織田信長の末裔を名乗っていましたが、後に自称であったことが発覚しています。
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