歴史番組「新説!?日本ミステリー」が、千利休(せんのりきゅう)は陰陽師だと紹介しました。
千利休の茶道には陰陽道の要素が取り入れられている。例えば五行棚は陰陽五行の火・土・金・水・木の要素が全て含まれている。
千利休の屋敷跡は、現在は安倍晴明を祭った晴明神社になっている。また、晴明神社の近くには千利休の首が晒された一条戻橋がある。一条戻橋は、安倍晴明が橋の下に式神を隠したと言い伝えられている場所である。
豊臣秀吉は陰陽師狩りとも言える陰陽師の弾圧を行っていた。京都の鴨川の中州には、鴨川の氾濫を沈めるために安倍晴明が建立した法城寺があり、陰陽師の活動拠点となっていた。しかし、豊臣秀吉が法城寺を取りつぶした。
陰陽師の土御門久脩は織田信長と密談し、1万石の加増を約束されていた。しかし、織田信長が本能寺の変で死亡してしまった。その後、天下を取った豊臣秀吉は土御門久脩の加増をするどころか、土御門久脩を都から追放した。
徳川家康は陰陽師の土御門久脩を幕府の要職に取り立てている。これは陰陽師の千利休が秀吉暗殺に荷担していたためである。
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