双子のオカマタレント・ピーコ(杉浦克昭=すぎうら・かつあき=64歳)は、悪性黒色腫(メラノーマ)により左目を摘出したため、義眼を入れています。
1989年2月、ピーコ(当時44歳)が雑誌の連載を書いている時のことだった。ピーコは左目に異変を感じた。左目がかすみ、原稿用紙の線が分からなった。左目だけで見ると、右目だけで見るより小さく見えた。
ピーコはこれまで大きな病気にかかったので、病に冒されているとは思わなかった。痛みもなかったので、病院には行かなかった。
1989年8月11日、年に一度の健康診断のため、静岡県熱海市にある熱函病院(ねっかんびょういん)を訪れた。熱函病院の院長とは知り合いで、おすぎとピーコの2人は40歳を過ぎてから毎年一緒に健康診断を受けると決めていた。
ピーコが以前に目の不調を訴えていたことを気にかけていた院長の奥さんは、「今日は眼科医が来ているから診てもらったら」と勧た。ピーコは眼科医に左目を診察してもらうことにした。
眼科医はピーコを網膜剥離だと診断し、このままでは失明の可能性があることをピーコに告知した。
おすぎはこのとき、左耳の鼓膜が破れており、左耳が聞こえない状態だったので、2つあるとはいえ片方が機能しなくなる恐怖を知っていた。
その夜、おすぎとピーコは熱函病院の院長に誘われて食事に行った。そして、眼科の名医を紹介してもらった。
翌日ピーコは、紹介された小田原市立病院で佐伯医師の診察を受けた。佐伯医師は、ピーコの目の状態を良くないと診断し、造影剤を入れて造影写真を撮影を行った。撮影には多くの医師が集まっていて、佐伯医師は集まった医師達に「これがメラノーマだ」と告げた。
ピーコはメラノーマという言葉を知っていた。ピーコは自分は癌なのだと知った。
メラノーマは皮膚癌の一種で、メラニン色素を産生する細胞ががん化したもの。眼球にメラノーマが発症するのは30万に1人の割合だとされている。
ピーコの場合、左眼球の後ろの脈絡膜(みゃくりゃくまく)にメラノーマが発症していた。腫瘍が広がり網膜を圧迫しており、網膜剥離の状態に近かった。腫瘍が眼球のリンパ管に入りこめば体中に転移する可能性があった。
佐伯医師はピーコに、「メラノーマは1cm以下ならどうにかなるが、ピーコのメラノーマは1.4cmある。目を摘出しないと癌が視神経から脳細胞に転移して、死亡する確率が高い」と告知して、目を摘出することを勧めた。
ピーコは1人で左目を摘出することを決めて、1989年8月26日に手術を受けた。
手術は、眼球をささえる6カ所の筋肉と脳と繋がる視神経を切断して、左眼球を取り出すというものだった。通常は20分で終了するが、ピーコの場合は、眼球に圧力ががかると、がん細胞が散って転移する可能性があったため、手術は慎重に行われ、手術は2時間かかった。
手術が終わると、直ぐに眼球を入れなければならなかった。早く眼球を入れないと、目の筋肉が目をふさいでしまうからだ。
その後の検査の結果で、癌が他の部位に転移していないことが分かり、ピーコは1989年9月10日に退院した。退院後、片目を失ったピーコは、目で苦しむ病気の人やその家族のための活動を始めた。
義眼は傷口にあわせて作るため、傷口が治る度に作り直さなければならない。ピーコはこれまでに35個の義眼を作ったそうです。
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