徳川家重は女性だった

TVドラマ「暴れん坊将軍」で有名な8代将軍の徳川吉宗(とくがわよしむね)の長男で9代将軍の徳川家重(とくがわいえよし)には、実は女性だったという女性説があります。

徳川家重はかなり変った将軍で、ほとんどの時間を大奥で過ごし、ひげ剃りや髷(まげ)を結うことを嫌った。側用人の大岡忠光としか会話しなかったうえ、トイレの回数が多かった。

徳川家重は女性説では、女性であることを隠すために女性の中(大奥)で多くの時間を過ごした。また、声から女性と悟られないように、大岡忠光にしか話さなかったとさています。

また、日光参拝のおりには仮設トイレを沢山作らせたと言われています。男性は小便筒に放尿するのでしが、徳川家重は女性なので小便筒が使えなかったそうです。

そして、徳川家重が女性であることを裏付ける証拠として、徳川家重の骨が挙げています。

増上寺の移転にともなう発掘調査により、徳川家重のお墓が掘り起こされ、徳川家重の骨盤や頭蓋骨に女性的な特徴があることが判明しているのです。

では、なぜ女性の徳川家重は男性として育てられたのか?

時代は徳川吉宗が次期将軍争いをしていた紀州藩主時代にさかのぼります。次期将軍の座を争っていた御三家の尾張家に子供が生まれました。次期将軍争いには世継ぎの存在は重要でした。

尾張家に遅れること11ヶ月、徳川吉宗にも待望の子供が生まれました。しかし、生まれたのは女の子でした。徳川吉宗は将軍になるために、生まれた女の子を男の子として育てることを決意します。

そのころ、大奥では、6代将軍・徳川家宣の側室で7代将軍・徳川家継の生母である月光院(げっこういん)と、6代将軍・徳川家宣の正室である天英院(てんえいいん)の2人が対立していました。

ある日、大奥で優勢にあった月光院の側近である絵島(えじま)と人気歌舞伎役者の生島新五郎の2人が不義密通があったとして、逮捕される事件が発生します。この事件は絵島生島事件(絵島事件)と呼ばれています。

絵島生島事件を切っ掛けに月光院派の女中1500人が処罰され、大奥で優勢にあった月光院の勢力は失墜。月光院も大奥から吹き上げ御殿へと追いやられます。そして、大奥での地位が不動のものとなった月光院は、7代将軍・徳川家継が死亡すると、次期将軍に徳川吉宗を推薦します。

徳川吉宗は月光院と手を組んで絵島生島事件を起こし、月光院を失脚させたのでした。

8代将軍となった徳川吉宗は江戸城に入ると、徳川家重を大奥で育てます。やがて、徳川吉宗は徳川家重の秘密を守るために、大奥で力を持っていた天英院に属する女中5000人を解雇して、天英院も二の丸に追いやてしまうのでした。

さて、徳川家重の女性説は信憑性の低い珍説です。徳川家重は障害者だったとされています。脳性麻痺による言語障害や顔面麻痺があり、徳川家重の言葉は大岡忠光にしか理解できなかったとされています。また、尿毒症のため、頻繁に放尿したとさています。

徳川吉宗には徳川家重以外にも徳川宗武(とくがわむねたけ)や徳川宗尹(とくがわむねただ)という優秀な子供が居るので、徳川家重が女性であるというリスクを冒してまで将軍に就ける理由は見つかりません。

また、女性説は、徳川家重に徳川家治(とくがわいえはる)や徳川家治(とくがわいえはる)などの子供が居る点に触れていないないので、信憑性は低いと言えます。

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