ラロックの聖母のWiki

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品ではないかと話題になっている絵画「ラロックの聖母」の勝手にWikipediaです。


ラロックの聖母とは、フランス・ラロック村で発見されたレオナルド・ダ・ヴィンチの作品ではないかされている絵画(49cm×59cm)です。ラロック村で発見したため、「ラロックの聖母」と呼ばれています。

注意:ラロックの聖母は49cm×59cmですが、切り取られて現在の大きさになったことが判明しています。

ラロック村に住む男性3人が、ラロック村の古美術店で古びた絵画を発見し、2000フランだった古びた絵画を1500フラン(日本円で約3万円)に値切って購入しました。

古びた絵画を見た友達が「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品に似てるね」と言ったことが切っ掛けで、男性は絵画をクリーニングしました。すると、ヨハネを抱き、イエスに乳を与える聖母マリアが現れたのです。

また、絵の裏に使われている木は、新しく見積もっても17世紀以前のもであることが分かり、古びた絵画はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品である可能性が大きくなり、「ラロックの聖母」と呼ばれるようになりました。

ラロックの聖母は30億円の価値があるとされ、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品であれば600億円以上の価値があるとされています。

ラロックの異母は様々な科学的調査が行われています。絵の具を分析した結果、15世紀から16世紀の絵の具が使用されている事が判明ししています。

また、赤外線調査の結果、聖母マリアが微笑んでいることや、背景に水が描かれている可能性があることがあることが明らかとなっており、ラロックの聖母はレオナルド・ダ・ヴィンチの特徴を備えていることが判明しています。

ドイツの歴史学者マイク・フォクト・ルエルセンは、ラロックの聖母はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品と断言し、ラロックの聖母に描かれている聖母マリアのモデルは「イザベラ・ディ・アラゴン」だと発表しています。

イザベラ・ディ・アラゴンは、アラゴン王家の血を引き、ミラノを支配していたアルフォンソ2世(ナポリ王)の娘で、ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァの妃です。

レオナルド・ダ・ヴィンチはスフォルツァ家の宮廷画家として仕えていた時期があり、2人には接点があります。

さらに、マイク・フォクト・ルエルセンは、レオナルド・ダ・ヴィンチは1495年にイザベラ・ディ・アラゴンと極秘結婚し、5人の子供を産んでいたとの説をも展開しています。

レオナルド・ダ・ヴィンチは作品にも縄をモチーフにした模様を書き込んむことがります。ラロックの聖母にも縄をモチーフとした模様が書き込まれています。

縄をモチーフとした模様は、スフォルツァ家の紋章とアラゴン家の紋章とを組み合わせたもので、マイク・フォクト・ルエルセンは、ラロックの聖母はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた作品だと断定しています。

一方、レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館館長で鑑定の世界的権威のアレッサンドロ・ヴェッツォーシィは、ラロックの聖母について「15世紀初めから中に描かれた、レオナルド派の作品の可能性がある」と鑑定しています。

現在、ラロックの聖母から指紋が発見されており、指紋の鑑定が行われています。レオナルド・ダ・ヴィンチは指で絵を描く事が多く、ラロックの聖母から発見された指紋がレオナルド・ダ・ヴィンチの指紋であると鑑定されれば、ラロックの聖母はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品であることが確定します。