ドラマ「美丘(みおか)」の原作となる石田衣良の小説「美丘」のネタバレ感想文です。あらずじやネタバレを含んでいるので、ネタバレを知りたくない人は閲覧しないでください。
原作小説「美丘」は、ドイツ製の乾燥硬膜「ライオデュラ」を移植したことにより、クロイツフェルト・ヤコブ病を発症する峰岸美丘と、峰岸美丘を支えた橋本太一のラブストリーです。
物語は、橋本太一の一人称(回想系語り口調)で進むため、大ヒット映画「世界の中心で愛を叫ぶ」の原作を読んでいるような感じでした。
峰岸美丘の記憶がなくなるのは、映画「私の頭の中の消しゴム」のようでした。
ラストで、橋本太一が美容室で髪を染め、峰岸美丘の待つ病室へ向かうシーンは映画「タクシードライバー」のロバートデニーロを彷彿とさせました。
不治の病で死んでいくラブストーリは過去にも沢山あり、色んな要素をチャンポンした感じですが、それでもなおストーリに引き込まれていくのは、さすが石田衣良としか言いようがない。
小説「美丘」は2度目の方が面白く読めました。時間のある人は2度読み、時間のない人はあらすじを知ってから読んだ方が、より楽しめるでしょう。
クリスマスパーティーを開くために、五島麻理の自宅へ歩いて向かうとき、雲の隙間から夕日が漏れてた「ヤコブの梯子(はしご)」という現象が起きた。
橋本太一が「伝説ではあの梯子を登ると天国へいける」と言うと、峰岸美丘は「私はなんな梯子なんか登らない。良い子になって天国になんかいってやらない」と反発するシーンがあります。
最初は、峰岸美丘はいつ病気が発症して死んでしまうか分からないので、死にていして反発しただけだと思っていたのですが、峰岸美丘はクロイツフェルト・ヤコブ病に感染しているので、「ヤコブの梯子」の「ヤコブ」に反発する意味もあるのだと、2度目に読んで分かりました。
峰岸美丘がドイツ嫌いな理由も、ドイツ製の乾燥硬膜「ライオデュラ」を移植したことにより、クロイツフェルト・ヤコブ病に感染したからでした。
正月に、バーゲンで買い物をした仲良しグループの6人が集合場所に集まると、峰岸美丘が派手なおばあちゃんを見つけるエピソードがあります。
おばあちゃんは痴呆症で、自分の居る場所が分からなくなり、同じ場所に立ち尽くしていました。峰岸美丘は優しくおばあちゃんに話しかけ、タクシーで自宅まで送り届けます。
おばあちゃんの自尊心を傷つけないように自宅まで送る峰岸美丘の優しさには意表を突かれました。自分の自宅を忘れた痴呆症のおばあちゃんは、ヤコブ病で記憶を失っていく峰岸美丘の未来の姿だったのだろうと思いました。
峰岸美丘は男性にも女性にもセックスは開放的な型破りな性格で、友達の彼氏を寝取る事もありました。峰岸美丘は橋本太一と付き合い始めると、毎日のようにセックスしました。
オーストリアの心理学者フロイトは、人が生きる原動力となる性的欲求をリビドーと名付けています。峰岸美丘のセックスは、やがて訪れる死の対称として描かれているのだと思いました。
歩くことも困難になった峰岸美丘は元気なみんなを憎らしく思っていた。その思いは押さえつけていたが、自分が何を言ったのかも覚えてられなくなり、家族や橋本太一に暴言を吐いているのではないかと不安になっており、病院へ入ることを決めます。
私はこの場面が一番好きで、峰岸美丘の本当の性格が良くあられていると思います。
最後は、橋本太一が頭を真っ赤に染めてツンツンにして、峰岸美丘との約束を果たします。約束とは、2人で出かけたレイブパーティーで交わした「いつか、私が私でなくなったら、太一君のこの手で終わりにして欲しい」という尊厳死の約束です。
峰岸美丘を生かしている酸素吸入チューブと点滴とに手が伸びるのですが、この手は「どちらも見知らぬ男の手だった」と説明しています。おそらく、橋本太一が新しく生まれ変わったことを意味すのでしょうが、この1文で、余韻ではなく、疑問が残ってしまいました。ラストは全面的に無かった方が良かったと思います。
さて、小説「美丘」は日本テレビの土曜日9時からの枠でドラマ化されます。ヒロインの峰岸美丘を吉高由里子が演じ、ヒーローの橋本太一を林遣都が演じます。
原作通り、橋本太一の一人称・回想系語り口調でドラマ化すると、大ヒット映画「世界の中心で愛を叫ぶ」と同じになってしまうので、脚本家の梅田みかのアレンジに期待したいです。あらすじについては「あらすじとネタバレ」をご覧下さい。
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