保谷俊夫が死去

兵庫県宝塚市仁川台に住むプロ野球「オリックス・バファローズ」の職員で選手寮「青濤館(せいとうかん)」の寮長を務める保谷俊夫(ほうや・としお=62歳)が死去しました。病死か自殺かとみられています。


2010年7月3日午後0時40分、兵庫県神戸市西区学園東町6の市道で、路肩に停車している乗用車内でぐったりしている保谷俊夫を、通行人が発見して、119番通報しました。

保谷俊夫は病院へ運ばれましたが、7月3日午後2時に死亡が確認されました。事件性は無く、病死か自殺とみられています。

現場は選手寮「青濤館」から200メートル離れた路上で、車はエンジンがかかった状態でした。保谷俊夫は7月3日午前9時50分に選手寮「青濤館」を出ていました。

2010年2月5日には、オリックス・バファローズの小瀬浩之外野手(当時24歳)が、キャンプ地の沖縄県宮古島市にあるホテルで、飛び降り自殺をしていました。

保谷俊夫は、東京・日本大学第一高校を経て、1966年に行ったドラフト4位で阪急にピッチャーとして入団していましたが、1軍出場のないまま1973年に現役を引退。その後、マネージャーなどを経て、2002年から選手寮「青濤館」で寮長を務めていました。

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